沿革
明治15年(1882) | 横浜貿易商組合総理・小野光景等創立委員となり神奈川県庁より認可を得て横浜商法学校を設立、美澤進を校長に任じ本町1丁目5番地所在の町会所楼上にて授業を開始(3.20)する。 | |
明治19年(1886) | 第1回卒業生を出す。 | |
明治21年(1888) | 横浜商業学校と改称。 | |
明治23年(1890) | 第2回卒業生を出す(以後逐年卒業生を出す)。 | |
明治25年 (1892) | 本町外13ケ町立となる。Yの帽章が制定され、Y校の通称おこる。 | |
明治30年 (1897) | 横浜商業学校同窓会初代幹事長に吉本光太郎就任。美澤校長、校訓10か条を制定。 | |
明治32年 (1899) | Y校は実業学校令の改正に際し、文部省告示をもって高等なる商業学校と認定する。ただし高等商業学校にあらずと指令された。この年までに剣道部(27年)、ボート部(28年)、野球部(29年)、庭球部(32年)が創設された。 | |
明治34年 (1901) | 同窓会は美澤校長在職20年の功労祝賀会を挙行(3.21)し銀時計を贈呈する。 | |
明治38年 (1905) | 同窓会第2代幹事長に渡辺和太郎就任。Y校は南太田の現在地に移転。 | |
明治39年 (1906) | 同窓会主催にて明治37・38年戦没における会員戦没者12氏の追弔祭を市内伊勢山皇大神宮内招魂碑前にて執行(4.3)する。 (本会会員物故者慰霊祭のはじまり。翌年同所に建碑する。) | |
明治42年 (1909) | 美澤校長還暦祝賀彰徳会がY校創立委員、同窓会員をはじめ横浜全市内有志の発起により、Y校校庭において多数の参会者を得て盛大に挙行 (11.14)され、同時に有志より醵出された彰徳資金が贈られた。同窓会は同夜祝賀会を開催し,彰徳会に参加のできなかった会員の出席を得て改めて祝意 を表した。水泳部創設。 | |
大正 6年 (1917) | Y校は横浜市に移管され、校名を横浜市立横浜商業学校と変更。 | |
大正 9年 (1920) | Y校は学制を改正し,従来の高等小学校卒業程度を入学資格とする本科(5ケ年)の下に尋常小学校卒業程度を入学資格とする予科2ケ年)を置く7年制商業学校となる。 | |
大正11年 (1922) | 同窓会第3代幹事長に左右田喜一郎就任。 | |
大正12年 (1923) | Y校校舎大震災により殆ど倒潰(9.1)。美澤校長死去(9.16)。 | |
大正13年 (1924) | 同窓会は故美澤先生校葬事務のため臨時事務所を北仲通2-33横浜海産同業組合内に設置して準備に当たるとともに、葬儀(9.28)に際し多数の 会員が参列して弔意を表した。会員名簿が海老沢勝太郎氏(第2期・故人)の自発的かつ献身的努力により作製され、会員に頒布された。Y校は学制を改め、本 科(5年制)の入学資格を尋常小学校卒業生程度とし、その上に中学校卒業生程度を入学資格とする専修科(2年制)を設置する(昭和3年廃止)。 | |
大正14年 (1925) | 専修科授業開始。 | |
昭和2年(1927) | 同窓会第4代幹事長に中村房次郎就任。 | |
昭和 3(1928)) | 横浜市立横浜商業専門学校(通称・Y専)が設置され、専修科1年修了者を2学年に編入し、新規募集の1学年とともに、新築落成したY校校舎にて授 業を開始。横浜商業学校同窓会(事務所・中区花咲町1-18、横浜石灰同業組合内)はY校専修科の昇格に設立されたY専がY校の兄弟校であり、両校を合わ せてオールY校と称することにより、その名称をY校同窓会と変更。 | |
昭和 5年(1930) | Y専第1回卒業生を出す。同窓会(事務所・中区相生町4-68)主催。明治37・38年戦没における会員戦没者慰霊祭が市内伊勢山皇大神宮境内の碑前にて挙行(10.28)された。この後同窓会恒例行事となり、戦後は会員物故者慰霊祭として例年執行されている。 | |
昭和10年(1935) | Y専はY校校舎より隣接の井土ヶ谷町の新校舎に移転。 | |
昭和12年(1937) | Y校同窓会(事務所・中区桜木町1-1)より山本和久三(第19期)偏『美澤先生』(非売品)が発行され、好評を博す。 | |
昭和14年(1939) | Y校同窓会(事務所・中区本町2-16 神戸海上ビル内)は文部大臣の認可(4.21)を得て法人組織に改め、社団法人進交会と称する。進交会初代理事長に中村房次郎就任。 | |
昭和15年(1940) | 進交会館建設資金の募集を開始する。 | |
昭和17年(1942) | 中区住吉町1-12所在の土地、建物を買収し、会館として館内に事務所を置く。 | |
昭和18年(1943) | Y専に南方経済科(1年制)設置され、授業開始。戦時色濃厚となり、両校ともやむなく徽章を変更。文科系学徒の徴会名簿等の発兵猶予停止(10月)され、軍務に就くために入隊する者が出だす。不要・不急印刷物の刊行停止され、同窓会名簿等の発行中止。 | |
昭和19年(1944) | Y専は横浜市立横浜経済専門学校と校名を改め、Y校校舎に移転。横浜医学専門学校は井土ヶ谷校舎にて開校。同校は後に浦舟町校舎に移り、26年3月閉鎖。学徒通年勤労動員令が施行され、下級生を除き工場、農場に赴く者が多くなる。進交会第2代理事長に磯野庸幸就任。 | |
昭和20年(1945) | Y専図書館大空襲により焼失(5.29)。進交会は会館を進駐軍に接収されたので、Y校内に什器、備品を移し仮事務所とする。Y章復活。野球部復活。 | |
昭和21年(1946) | 進交会は磯野理事長が公職追放令に該当のため、会の運営を常務理事の合議制とする。 | |
昭和22年(1947) | 横浜医科大学は大学予科を六ツ浦校舎にて開設。同予科は26年閉鎖。 | |
昭和23年(1948) | 新学制によりY校は横浜市立横浜商業高等学校と改称し、新卒業生中の希望者を3学年に編入するほか在校生を各該当学年に移行する。 | |
昭和24年(1949) | Y校は旧制商業学校(5年制)最後の卒業生を出す(創立以来の卒業生約6,000名)。同時に新制高校(3年制)第1回卒業生を出す。横浜市立港 高等学校を統合し、新学年より男女共学を実施。横浜市立大学はY専を主体とし商学部のみにて六ツ浦校舎において開学。横浜医科大学(旧制)浦舟町校舎にお いて開学。 | |
昭和25年(1950) | 進交会はじめて女子の会員を迎える。 | |
昭和27年(1952) | 市大商学部第1回卒業生を出す。市大は医専・医大を母体とする医学部・文理学部を増設。 | |
昭和28年(1953) | 進交会(仮事務所・中区老松町市大経済研究所内)は戦後最初の会員名簿を発刊。 | |
昭和30年(1955) | 横浜市中区相生町6-111の現在地に進交会館(2階建)を新築落成(2.11)。会報復刊。横浜医科大学学部学生の卒業完了(研究科のみ36年3月まで存続)。市大医学部進学課程を新設。 | |
昭和31年(1956) | 市大文理学部第1回卒業生を出す。 | |
昭和33年(1958) | 進交会第3代理事長に美澤義雄就任。 | |
昭和34年(1959) | 定款大改正(1.24、文部大臣認可)。会員名簿発刊。 | |
昭和35年(1960) | 進交会奨学金制度を設ける。進交会第4代理事長に宮代彰就任。 | |
昭和36年(1961) | 市大医学部医学研究科(博士課程)を設置。進交会主催学術講演会(講師は小泉信三・田島四郎の両氏)開港記念横浜会館にて開催(4.14)。進交会館の増改築(3階建)落成。(11.25) | |
昭和40年(1965) | 会員名簿発刊。Y校産業図書館竣工。 | |
昭和45年(1970) | 市大商学部、経済学研究所(博士課程)、経営学研究科(博士課程)を設置。会員名簿発刊。 | |
昭和47年(1972) | 倶進会(医専・医大・市大医学部同窓会)進交会に合流。 | |
昭和48年(1973) | 進交会館(8階建)新築落成(10.12)。 | |
昭和52年(1977) | 進交会第5代理事長に西田義雄就任。 | |
昭和54年(1979) | 横浜市大創設50周年・創立30周年記念式典挙行(6.3)。進交会第6代理事長に野並豊就任。 | |
昭和55年(1980) | 市大図書館書庫増築完成(3月)。 | |
昭和57年(1982) | Y校創立100周年記念式典挙行(10.23)。 | |
昭和59年(1984) | 会員名簿発刊。 | |
昭和60年(1985) | 市大総合研究教育棟完成(3月)。 | |
昭和61年(1986) | Y校新校舎落成(10.4)。 | |
昭和62年(1987) | 市大医学部金沢福浦3丁目9番地に移転開校(4月)。 | |
昭和63年(1988) | 会員名簿発刊(9月)。 | |
平成元年(1989) | 進交会法人化50周年記念祝賀会「クイーン・エリザベス?号」にて開催(5月)。市大60周年記念式典挙行(11月)。市大同窓会発足、「第1回市大同窓会」開催(10月)。 | |
平成 3年(1991) | 市大病院(福浦)落成(7月)。 | |
平成 4年(1992) | 進交会新年会「パシフィコ横浜」にて開催(1月)。進交会館6Fラウンジ「みなと倶楽部」完成披露(4月)。会員名簿発刊(10月) | |
平成 5年(1993) | 国際文化学部国際文化研究科(修士課程)を設置(4月)。 | |
平成 6年(1994) | 市大医学部創立50周年記念式典挙行(6.4)。進交会文化教室(7階)開講披露(12.1)。アーバンカレッジを横浜駅東口ポートサイドビルに開設(11月)。 | |
平成 7年(1995) | 文理学部を改組し、国際文化学部及び理学部を設置(4月)。木原生物学研究所、戸塚区舞岡町に移転開所(4月)。横浜市立大学に併設して横浜市立大学看護短期大学部を開学(4月)。 | |
平成 8年(1996) | 大学院国際文化研究科(博士後期課程)設置(4月)。会員名簿発行(10月)。 | |
平成 9年(1997) | 医学部附属高等看護学校廃止(3月)。瀬戸キャンパス「シーガルセンター」竣工(6月)。Y校会発足。「第1回Y校会の集い」開催(11月)。 | |
平成10年(1998) | 大学院医学研究科(医科学専攻修士課程)設置(4月)。進交会館補強工事実施(炭素繊維)(9月)。アーバンカレッジ上大岡に移転(6月)。 | |
平成11年(1999) | 市大学術情報センター開設(4月)。 | |
平成12年(2000) | 医学部附属市民総合医療センター開院(旧医学部附属浦舟病院)(1月)。 会員名簿発刊(11月)。 | |
平成13年(2001) | 市大総合理学部研究科連携大学院「生体超分子システム科学専攻」を開設。(4月)市大金沢八景キャンパス内に環境ホルモン研究施設が完成。(4月)進交会定款の大改正。(12.21) | |
平成14年(2002) | 中田 宏 横浜市長 進交会名誉顧問に就任。(8月) Y校創立120周年記念式典挙行。(11.30) | |
平成15年(2003) | 「市立大学の今後のあり方懇談会」が検討結果を市長に答申。(2月)Y校に国際学科新開設。(4月)市大創立75周年記念式典挙行。(11.8) | |
平成16年(2004) | 市大創立75周年記念事業後援会による共同利用センター(仮称)建設の着工。(2月)市大医学部創立60周年記念式典挙行。(6.5)市大理事長予定者と副理事長予定者に宝田良一氏と松浦敬紀氏が就任。(7月)進交会名簿発刊。(11月) | |
平成17年(2005) | 市大学長にブルース・ストロナク氏が就任。(4月)市大法人化、「公立大学法人 横浜市立大学」設立。(4月)商学部、国際文化学部、理学部を統合し国際総合科学部を設置。(4月)医学部看護学科を設置。(4月) | |
平成18年(2006) | 市大エクステンションセンターを横浜ランドマークタワー13階に開設。(4月) Y校 教育支援センター竣工。(10月) | |
平成19年(2007) | Y校「小島烏水版画コレクション」展を横浜美術館と共同企画で開催。(1月) Y校「横浜お試しイロハハハ計画実行委員会」が第56回読売教育賞受賞。(7月)市大カリフォルニアオフィス開設。(11月) | |
平成20年(2008) | 市大商学部、国際文化部、理学部が閉部。(3月) 市大看護短期大学部廃止(3月) 市大宝田良一理事長、松浦敬紀副理事長、ブルース・ストロナク学長辞任。(3月)市大本多常高理事長、布施勉学長が就任。(4月) 進交会野並豊理事長が辞任し足立光生氏が第7代理事長に就任。(5月) 進交会名簿発刊。(11月) 市大第1回 ホームカミングデー開催(11月) | |
平成21年(2009) | Y校校歌の作詞者 森鴎外展が神奈川県立近代文学館で開催(4月) Y校創立100周年記念で開設した岡山県川上町のY校記念館閉鎖(10月) 林文子横浜市長 進交会名誉顧問に就任(10月) | |
平成22年(2010) | Y校会会長に南信一郎氏が就任(1月) 木原生物学研究所内の木原研究室開設に秋篠宮殿下が出席(3月) 第8代進交会理事長に坂本忠歳氏が就任(5月) 天皇皇后両陛下が木原記念講演会にご聴講並びに記念室を視察(9月) | |
平成23年(2011) | 進交会主催の教養講座開講(2月) 一般社団法人移行申請を神奈川県庁より認可(6月) 進交会館の耐震診断を実施(9月) | |
平成24年(2012) | 一般社団法人進交会 第1回社員総会開催(5月) 第9代進交会理事長に秋谷淨惠氏が就任(5月) | |
平成29年(2017) | 第10代進交会理事長に古屋文雄氏が就任(5月) | |
平成30年(2018) | 進交会館建替え工事開始(4月) | |
令和2年(2019) | 新進交会館落成(3月) 新型コロナウィルス感染拡大のため活動が大幅に制限される(2021.10.1現在) | |
令和4年(2022) | 美澤進先生100回忌法要・墓前報告会(9月) 横浜市立大学病院創設150周年記念イベント(10月) Y 校140周年記念式典・祝賀会(11月) |